宇宙は我々が絶えず読んでいる本だ。唯一の泉であり、方法だ。
池辺一郎訳『ルドン—私自身に』みすず書房
幻想的な画風で知られるオディロン・ルドン(1840-1916)は、本を愛する読書家でした。「読書は精神を養うすばらしい源です。我々を変え、完成します。思想を残した(偉大な人物の)大きな精神との無言の静かな対話ができます。」と、本を読むことの素晴らしさを言い表していました。
彼の読書傾向を決定づけた青年時代の精神的指導者が、17歳頃に出会ったアルマン・クラヴォー(1828-1890)という独学の植物学者です。若きルドンはクラヴォーから、エドガー・アラン・ポーやボードレールらの文学、進化論など当時の最新科学、さらにはスピノザやインド哲学まで、幅広い読書の手ほどきをうけました。仏陀の画題や、同時代の詩人マラルメによる詩集(未刊)へ寄せた挿絵など、当館が所蔵する作品からも、ルドンの豊かな読書経験や文学者との親交がうかがえます。
《女》(ステファヌ・マラルメの『骰子一擲』(とうしいってき)
のための無題の試刷り)
1900年、リトグラフ・紙
しかしルドンは一方で、読書について次のような言葉も語っています。
「そうはいっても、読書だけでは、健全に強く働く精神が完成されないのは事実です。魂を培う要素を取り入れるには、眼が必要です。眼で見る能力、正しく真実を見る能力を発達させていない人は、不完全な知性しか持たないでしょう。」
ルドンは本を読むことの素晴らしさを讃えながらも、紙上の世界に閉じこもるのではなく、現実世界を見つめることの大切さも訴えていたのです。翻っていえば、身の回りの景色や物を、本を読み込むように丹念に熟視していたのでしょう。ルドンにとって、「宇宙は我々が絶えず読んでいる本」でした。その言葉には、いつも手元に顕微鏡をおいて植物の宇宙の謎を読み解こうとしていたクラヴォーの姿も重なります。
そんなクラヴォーがある日、自らの命を絶ちます。ルドンが50歳の冬でした。悲しみにくれたルドンは翌1891年、6連の版画からなる作品集『夢想(わが友アルマン・クラヴォーの想い出に)』を発表します。その最後の1葉にあたる《日の光》に描いたのは、部屋の暗がりと戸外に満ちた光が対照的な、窓辺の風景でした。室内に漂う微生物のような浮遊体や窓外の樹木が、植物学者クラヴォーを想起させます。在りし日の2人は窓辺で、書を手に語り合ったのでしょうか。まだ画家としての道も定まらぬ寄る辺ない時代に、親密な読書の時間を共有したクラヴォーへの思慕が伝わってくる一枚です。
司書:黒澤美子
※ルドンの言葉はすべて、池辺一郎訳『ルドン—私自身に』みすず書房より引用。括弧内は原文を参照のうえ筆者が補足。
《夢想(わが友アルマン・クラヴォーの想い出に)VI日の光》
1891年、リトグラフ・紙
《仏陀(マルティ版『レスタンプ・オリジナル』第9号所収)》
1895年刊、リトグラフ・紙