学芸員が選ぶ隠れた名作
黒田清輝《杣》制作年不詳、油彩・カンヴァス
黒田清輝《杣》制作年不詳、油彩・カンヴァス
杣(そま)とは樵夫(きこり)のことです。落ち葉が敷き詰められた晩秋の山道の斜面を、薪を背負ったひとりの男がのぼろうとしています。紅葉や黄葉と、常緑樹が巧みに組み合わせられています。遠景の山肌は青灰色、その上の空は白く曇っていて、前景や中景の鮮やかな色彩を際立たせる役目を果たしています。落ち葉は細かいタッチを重ねてあらわす筆触分割の典型です。
フランスで油彩画を学び、27歳で帰国した後、終生、画壇の中心人物として東京で活動した黒田清輝(1866-1924)にとって、もっとも好んだ主題の一つは、田園風景のなかで働く人々でした。フランス時代もパリより、その南東70キロにあるグレー=シュル=ロワンで制作された作品群や、旅行先のブルターニュにあるブレハ島で描かれた作品群のほうが、清新な若き黒田の才能を生き生きとわれわれに教えてくれます。そのうちの代表的なものが、農作業にかかわる人間たちの姿でした。帰国後も、労働やその合間の休息にくつろぐ人々を繰り返し描きました。この《杣》もそうした系譜に位置しています。
この作品について、画家自身がなにも語ったことがなく、実はどこでいつ描かれたものか判然としていません。1912年頃に描かれたという説と、1896年頃ではないかという説があります。実は、この《杣》はいま東京国立博物館で開催中の「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」展(3/23〜5/15)に出品中です。この久しぶりの大規模回顧展には、現存する黒田作品がこぞって展示されています。そのなかにこの《杣》がならぶことで、画風や技法の比較から制作年がくわしく推定できるのではないかと期待しています。(※本展は2016年5月15日に終了しました。)石橋財団は、友人の証言と黒田の手紙などから1891年秋に旅先で制作されたと考えられる《ブレハの少女》(fig.1)と、1909年の第3回文展に出品された《鉄砲百合》(fig.2)を所蔵しています。そのどちらとも異なる描法の《杣》の位置付けは、私たちに課せられた興味深い宿題です。
- fig.1
- 黒田清輝《ブレハの少女》1891年、油彩・
カンヴァス
- fig.2
- 黒田清輝《鉄砲百合》1909年、油彩・カンヴァス