学芸員が選ぶ隠れた名作
川上涼花《麦秋》1919年、油彩・カンヴァス 石橋財団アーティゾン美術館
川上涼花《麦秋》1919年、油彩・カンヴァス 石橋財団アーティゾン美術館
細く背の高い木の背景に、単純化された田園風景が広がっています。「麦秋」とは初夏の麦の刈り入れの時期のことで、画面下部には色づいた麦畑と、収穫をする人々の姿が小さく描き込まれています。黄色く染まった麦畑と空の一部が、初夏の濃い緑色や空の青色と美しいコントラストを生んでいます。
川上涼花(1887-1921)は大正期の東京で、岸田劉生(1891-1929)らと共に若手芸術家が集うフュウザン会の中心的人物として活躍しました。しかし結核のため34歳という若さでこの世を去り、戦災でほとんどの作品が焼けてしまったため、現在その名を知る人は多くありません。《麦秋》は、涼花の友人で実業家であり、美術コレクターでもあった酒井億尋(さかい おくひろ1894-1983)により当館に寄贈されました。酒井によれば「中野の仙人」と呼ばれた涼花の暮らしぶりは、非常に真面目で慎み深く、音もなく流れる小川のような静けさであったと言います。東中野にアトリエを構えてからは、周辺の風景を題材にたくさんの木炭画を制作しました(fig.1)。経済的な事情から始めたとされる木炭画ですが、色のない世界で自然描写や生命の表現を研究した涼花は、新たな作風へと展開していきます。《麦秋》はそのような時期に描かれた、数少ない貴重な油彩画のひとつです。
この作品は短い筆致を重ねて描く筆触分割の手法が用いられています。同じような描き方は、ゴッホ風と評される《鉄路》にも見られますが、色彩が混ざり合うように複雑に重ねられている《鉄路》(1912年、東京国立近代美術館蔵)に対し、《麦秋》では対象をより抽象的に捉え、筆の動きも抑制されています。そのためゴッホ風というよりむしろ、鮮やかな色彩と大胆な点描表現で構成された初期のフォーヴィスム絵画や、あるいは自然を単純化して描写するセザンヌの影響が感じられます。
涼花が晩年最も傾倒したのはセザンヌであったと言われています。日本で初めてセザンヌの油彩作品が展示され一般に公開されたのは、1921年のことです。そのときすでに病床にあった涼花は、セザンヌの実作品をその眼で見ることを切望していましたが、ついに叶うことはありませんでした。当館所蔵のセザンヌ《帽子をかぶった自画像》(fig.2)は、雑誌『白樺』の同人であった武者小路実篤らの尽力により日本にもたらされ、まさにこのとき東京、京橋で開かれた白樺美術館第1回展に出品された作品です。
- fig.1
- 川上涼花《桐と麦》1917年、木炭・紙
- fig.2
- ポール・セザンヌ《帽子をかぶった自画像》
1890-94年頃、油彩・カンヴァス