藤島武二
《東海旭光》
1932年 油彩・カンヴァス
昭和に入ってから3年目の1928年に、藤島武二は、昭和天皇の即位を祝って御学問所を飾る作品制作の下命を受けます。新天皇に相応しく、藤島は画題を「日の出」と自ら決めました。最終的には内蒙古、ドロンノールの砂漠に昇る日の出を描き、《旭日照六合》(1937年、三の丸尚蔵館)にまとめ上げるのですが、それまでの約10年間、各地の日の出を追い求めて、北は蔵王山、南は当時日本領で最高峰だった台湾の新高山(玉山)まで、山と海の日の出を渉猟して数多くの作品を描きました。60代の藤島にとって、最大の主題が日の出だったのです。この作品は、そうして残された海の日の出の代表作です。
藤島が絵画制作の大切な肝として後進の画家たちに繰り返し語った言葉は、フランス語の「サンプリシテ」でした。単純化という意味です。画面から不要なものをひとつずつ外していき、最後まで取り除くことができないものこそが、描くべき要素だと藤島は考えました。そのサンプリシテの極限までたどり着いた一例を、この作品に見出すことができます。左に一艘だけ浮かぶ帆船を除いてみると、画面はほとんど抽象絵画といってよいほど簡潔な組み合わせです。下から順に、海面、雲、空、また雲、と4つの色面が積み重ねられているだけ。朝日が海面から昇りかけているのがわかりますが、見る者の注意を太陽へ誘い込もうとするよりも、宇宙の純粋な営みそのものを私たちに意識させます。
藤島が絵画制作の大切な肝として後進の画家たちに繰り返し語った言葉は、フランス語の「サンプリシテ」でした。単純化という意味です。画面から不要なものをひとつずつ外していき、最後まで取り除くことができないものこそが、描くべき要素だと藤島は考えました。そのサンプリシテの極限までたどり着いた一例を、この作品に見出すことができます。左に一艘だけ浮かぶ帆船を除いてみると、画面はほとんど抽象絵画といってよいほど簡潔な組み合わせです。下から順に、海面、雲、空、また雲、と4つの色面が積み重ねられているだけ。朝日が海面から昇りかけているのがわかりますが、見る者の注意を太陽へ誘い込もうとするよりも、宇宙の純粋な営みそのものを私たちに意識させます。
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