拡大《矢内原》

アルベルト・ジャコメッティ

《矢内原》

1958年  油彩・カンヴァス

実存主義哲学の研究者であった矢内原伊作がジャコメッティと出会ったのは、フランス国立科学研究センターの研究員としてパリに滞在していた1955年11月のことです。翌1956年10月、任期を終えて帰国を間近に控えた矢内原の顔のデッサンをジャコメッティが試みたことを皮切りに、画家とモデルの対峙が始まります。見えているものをその通りに描けないとして様々な試行を繰り返すジャコメッティのために、矢内原は帰国の予定を2カ月半遅らせました。画家はその後もポーズをとることを求め、1957年、1959年、1960年、1961年と4回にわたり、モデルとしてフランスに招聘するほど、矢内原を描くことにこだわり続けました。階段を背に腰掛けた矢内原を囲む矩形はおそらく、矢内原の姿の大きさを測る物差しとして働いています。ジャコメッティはモデルの肖像をつぶさに描き出すのではなく、自身との距離によって条件付けられた対象の見え方をそのまま表すことを目指していました。灰色の立ち込めた画面の中でも、頭部、そして胸部に見られる筆でかき消した跡は、画家が直面し続けた困難を物語ります。同時に、頭部の構造を明瞭にとらえた線は、絵画的な技術の問題を超えて、対象を限りなく純粋な造形として把握しようとするジャコメッティの並外れた目の働きを示しています。

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