藤田嗣治
《ドルドーニュの家》
1940年 油彩・カンヴァス
東京美術学校で西洋画を学んだ藤田嗣治は、卒業後1913(大正2)年にパリへ渡り、モンパルナスにアトリエを構えました。そこでアメデオ・モディリアーニやシャイム・スーティンといった、諸外国からパリに集まったエコール・ド・パリの画家たちと交流しました。「素晴らしき乳白色」と呼ばれた滑らかな下地に、日本画用の筆や墨を使って女性や猫、室内などを描く独自の表現様式を確立し、一躍パリ画壇の寵児となりました。
フランス南西部にあるドルドーニュ地方は、先史時代の洞窟壁画などの遺跡を有する歴史的な土地です。藤田は第一次大戦開戦直後に、戦況悪化のためパリを離れ、この地方のレゼジー村で数カ月を過ごしました。
1939(昭和14)年9月頃、第二次大戦の開戦により再び藤田は同地を訪れています。この作品は、おそらくそのとき目にしたフランスの田舎の家から着想を得たと考えられます。藤田の代名詞ともいえる乳白色の下地を生かし、ほぼモノトーンで描かれた室内画です。天井の梁やテーブル、ベンチといった直線的なモティーフによって、見る者の視線は自然と画面中央の暖炉周辺に注がれます。暖炉の上にはコーヒーミルや置き時計、ポットなどの藤田愛用の品々が飾られ、一見すると穏やかで親密な雰囲気を感じさせます。しかし壁に掛けられた銃の存在は、戦争という時代背景を表しているかのようでもあります。この作品は藤田が1940年に一時帰国した際、第27回二科展に特別陳列されました。
フランス南西部にあるドルドーニュ地方は、先史時代の洞窟壁画などの遺跡を有する歴史的な土地です。藤田は第一次大戦開戦直後に、戦況悪化のためパリを離れ、この地方のレゼジー村で数カ月を過ごしました。
1939(昭和14)年9月頃、第二次大戦の開戦により再び藤田は同地を訪れています。この作品は、おそらくそのとき目にしたフランスの田舎の家から着想を得たと考えられます。藤田の代名詞ともいえる乳白色の下地を生かし、ほぼモノトーンで描かれた室内画です。天井の梁やテーブル、ベンチといった直線的なモティーフによって、見る者の視線は自然と画面中央の暖炉周辺に注がれます。暖炉の上にはコーヒーミルや置き時計、ポットなどの藤田愛用の品々が飾られ、一見すると穏やかで親密な雰囲気を感じさせます。しかし壁に掛けられた銃の存在は、戦争という時代背景を表しているかのようでもあります。この作品は藤田が1940年に一時帰国した際、第27回二科展に特別陳列されました。
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