Paris Report

Column|2017.08.08
パリ散策

4月5日からパリのオランジュリー美術館ではじまった「ブリヂストン美術館の名品—石橋財団コレクション展」では、セザンヌやモネ、ルノワールをはじめとする当館の作品76点をまとめて展示中です。西洋絵画だけでなく、青木繁《海の幸》、藤島武二《天平の面影》《黒扇》など重要文化財を含む日本近代洋画9点もご覧いただけます。そのなかのひとつ《放牧三馬》を描いた坂本繁二郎は、今からおよそ100年前の1921年から24年までの3年間をパリで過ごしました。

坂本繁二郎《放牧三馬》1932年

その坂本繁二郎ゆかりの地を少しだけご紹介しましょう。

  • 坂本の下宿跡には、現在も6階建ての建物が建っています。
  • エルネスト・クレッソン通り

ピカソやモディリアーニ、藤田嗣治など、世界中から集まった芸術家たちが多く居住したモンパルナス。坂本もこの地で研鑽の日々を過ごしました。坂本の下宿は、モンパルナス墓地から少し南にある14区役所そばのエルネスト通り18番の6階建ての建物でした。外国人画家向けの貸アトリエとして貸しだされていた、天井まで総ガラス張りの部屋で、ベッドが備え付けられた広い部屋と台所の二間でした。フランス人貴族と結婚して当時パリにいた画家の斎藤豊作が世話したその部屋は、梅原龍三郎や大原美術館創設に尽力した児島虎次郎がそれ以前に借りていました。隣室には正宗得三郎、違う階には小山敬三、フランス文学者の小松清なども住んでいて、海外渡航が一般的ではなかった大正時代に、幾人もの日本人画家がそばにいる心強い環境にあったといえます。それでも坂本は、次のように語っています。

「部屋にいるとしんしんとして、本当に一人ぼっちです。日本の社会ではどんな片田舎にいても考えられない、想像を超えた孤独感に襲われます。パリを中心に生み出された多くの作品はみんな、こうしたさびしい孤独なアトリエの中で、作家の執念の戦いからの産物だと身をもって体験しました。」(注1)

障子ひとつ隔てた座敷に人の気配を感じられる木造日本家屋と異なり、坂本はパリでの生活に孤独を感じていましたが、その一方で制作に集中できる環境でもあったようです。二科会が1923年に十周年事業としてサロン・ドートンヌの一角で特別展示を設けた際に、坂本はこのアトリエで制作した《帽子を持てる女》を出品しました。会場は、グランパレ。大舞台に向けて、坂本は隣室の正宗得三郎と共に、部屋のドアに面会謝絶の札を掲げて制作に打ち込みました。

  • グランパレ
  • 坂本繁二郎《帽子を持てる女》1923年

ヨーロッパで当館の名品をご覧ける機会は、あとわずか。オランジュリー美術館にて、8月21日までの開催です。(E.I)

注1:谷口治達『坂本繁二郎の道』求龍堂、1968年、p.144