円山応挙
《牡丹孔雀図屛風》
1781年 絹本著色
美しい飾り羽をたらし太湖石に立つ雄孔雀と、そばに歩みよる雌孔雀。その間から大輪の花をつけた牡丹が枝を伸ばします。画面右下の落款は「辛丑仲春應擧冩」。1781(天明元)年に円山応挙が描いたものです。
応挙は、江戸時代の半ばに、京の都を活動の場とした絵師です。狩野派に始まり、舶来玩具に用いられていた西洋の遠近法や陰影法、そして、中国の写生的な花鳥画に学んだ南蘋派など、様々な画法に学びます。そして、この絵に見るような写生的でありながら平明で装飾的な画風で、人気を博しました。
雄孔雀を見ると、首から胸元にかけては羽毛が詰まり膨らんでいる様が、さほど絵具を盛らずに表されています。飾り羽のほうは、その重なりを再現するかのように、下から幾重にも線を重ね描かれています。それぞれの量感、質感が、巧みに表現されているのです。
華やかな印象は、孔雀や牡丹といったモティーフだけでなく、青、緑、オレンジ、金といった鮮やかな色彩にもよるのでしょう。200年以上経てもなお、このような発色の良さを保つのは、用いられている絵具が良質なため。応挙には、宮廷関係や豪商といった確たる後ろ盾が付いたのです。
そのひとり、円満院門主祐常のいた円満院に伝わっていた作品に《牡丹孔雀図》(相国寺)があります。制作年は1771(明和8)年。体裁は掛け幅ですが、大きさや孔雀の図様が近く、この絵の制作背景に興味が持たれます。
応挙は、江戸時代の半ばに、京の都を活動の場とした絵師です。狩野派に始まり、舶来玩具に用いられていた西洋の遠近法や陰影法、そして、中国の写生的な花鳥画に学んだ南蘋派など、様々な画法に学びます。そして、この絵に見るような写生的でありながら平明で装飾的な画風で、人気を博しました。
雄孔雀を見ると、首から胸元にかけては羽毛が詰まり膨らんでいる様が、さほど絵具を盛らずに表されています。飾り羽のほうは、その重なりを再現するかのように、下から幾重にも線を重ね描かれています。それぞれの量感、質感が、巧みに表現されているのです。
華やかな印象は、孔雀や牡丹といったモティーフだけでなく、青、緑、オレンジ、金といった鮮やかな色彩にもよるのでしょう。200年以上経てもなお、このような発色の良さを保つのは、用いられている絵具が良質なため。応挙には、宮廷関係や豪商といった確たる後ろ盾が付いたのです。
そのひとり、円満院門主祐常のいた円満院に伝わっていた作品に《牡丹孔雀図》(相国寺)があります。制作年は1771(明和8)年。体裁は掛け幅ですが、大きさや孔雀の図様が近く、この絵の制作背景に興味が持たれます。
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