青木繁
《わだつみのいろこの宮》
1907年 油彩・カンヴァス
読書家だった青木繁は内外の神話を広く読みあさり、その中から特に日本神話に取材した作品をいくつも残しました。この作品も『古事記』から取られています。兄の海幸彦から借りた釣針をなくした山幸彦は、それを探し求めて海底に下りていきます。すると「魚鱗のごとく造れる」海神綿津見の宮殿があり、その入り口に井戸を見つけました。水を汲みに宮殿から出て来た侍女が桂樹にすわる山幸彦に気づき、海神の娘、豊玉姫を呼びます。山幸彦と視線を交わす左の赤い衣が豊玉姫、右の白い衣が侍女です。やがて山幸彦と豊玉姫は結ばれて、2人の間に生まれた男児が天皇家の祖となります。
縦に細長い画面に3人の人物を配した構図には、青木が日本に舶載された印刷物などを通じて学んだ、イギリスのラファエル前派の影響が見て取れます。また、ギュスターヴ・モローの色づかいにも感化されていることを青木は語っています。青木は、日本にいて遠く離れた西洋の世紀末美術の特質を鋭敏に感じ取っていました。この作品は1907(明治40)年春に開かれた東京勧業博覧会に出品するために制作され、未完成作品の多い青木の中では完成度の高いものです。会場でこれを見た夏目漱石は、2年後の小説『それから』の中で、「いつかの展覧会に青木という人が海の底に立っている背の高い女を画いた。代助は多くの出品のうちで、あれだけが好い気持に出来ていると思った」と書いています。
縦に細長い画面に3人の人物を配した構図には、青木が日本に舶載された印刷物などを通じて学んだ、イギリスのラファエル前派の影響が見て取れます。また、ギュスターヴ・モローの色づかいにも感化されていることを青木は語っています。青木は、日本にいて遠く離れた西洋の世紀末美術の特質を鋭敏に感じ取っていました。この作品は1907(明治40)年春に開かれた東京勧業博覧会に出品するために制作され、未完成作品の多い青木の中では完成度の高いものです。会場でこれを見た夏目漱石は、2年後の小説『それから』の中で、「いつかの展覧会に青木という人が海の底に立っている背の高い女を画いた。代助は多くの出品のうちで、あれだけが好い気持に出来ていると思った」と書いています。
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