拡大《孔雀立葵図屛風》

尾形光琳

《孔雀立葵図屛風》

江戸時代 18世紀   紙本金地著色

もと衝立の表裏であったものが、現状の二曲一双屛風に仕立てられています。改装されたのは、重要文化財の指定書から1957(昭和32)年とされます。衝立となる前も、屛風あるいは襖であったとする説もあり、オリジナルがどのような状態だったかはわかりません。
右隻(向かって右)は、羽を広げ細くて長い脚を伸ばす雄孔雀と、その豪華な羽を取り囲むように配されフレームアウトした樹幹が目を引きます。白い梅の花をつけた枝は、屈曲しながら左側の雌孔雀のほうへと伸び、雌孔雀の歩み寄る方向性から、再び絵の中心となる雄孔雀へと視線が導かれます。左隻は、すっくと茎を伸ばす立葵らしく垂直方向への視線が意識され、また、細かに描き込まれた孔雀とは対照的に、赤、白、緑の色面の対比が際立つような意匠的な表現となっています。
右隻では、痕跡はうかがえるものの劣化のため「法橋」の署名以下は不詳。左隻は「法橋光琳」の署名と「方祝」の朱文円印が確認されます。国宝の《燕子花図屛風》(根津美術館)、《紅白梅図屛風》(MOA 美術館)で知られる尾形光琳です。光琳は、江戸時代半ばに京および江戸の地で制作を行った絵師で、弟の乾山(1663–1743年)も陶工として名を馳せます。方祝は光琳が晩年に用いたとされる名前です。光琳が没したのは1716(正徳6)年59歳、50代半ば頃の制作と考えられます。

その他の作品

このページをシェア
《孔雀立葵図屛風》