日本画の芸術家一家に育った川端実は、東京美術学校の西洋画科に進み、藤島武二に学びました。1939(昭和14)年、川端は28歳で渡仏しますが、戦況の悪化により2年後には帰国を余儀なくされます。1958年、抽象表現主義の最盛期にあったアメリカに渡り、以後ニューヨークを拠点に活動し、独自の抽象表現を確立していきました。この作品は、黒を基調とする大画面を、斜めに走る白線が緊張感を生み、緑、青、赤などの鮮やかな色彩が重なり合いながら微妙な表情を見せています。第7回日本国際美術展に出品され、ブリヂストン美術館賞を受賞しました。