官展を中心に活躍した吉田博は、中学修猷館(現・福岡県立修猷館高校)で美術教師吉田嘉三郎に画才を見込まれ、吉田家の養子となりました。田村宗立に師事した後、不同舎に入門します。1899(明治32)年、デトロイト美術館やボストン美術館などで展覧会を開催し、作品を売って得た資金でヨーロッパを巡遊しました。風景画を多く手がけた吉田は、30代から50代にかけて、毎夏、山に籠もってその美しさを描き留めました。山あいに残雪の見られる上高地が描かれたこの作品は、石橋正二郎の初期収集品です。正二郎が、同郷の代表画家として吉田をとらえていたことがわかります。