拡大《南瓜を持てる女》

岸田劉生

《南瓜を持てる女》

1914年  油彩・カンヴァス

岸田劉生は、17歳で黒田清輝が主宰する白馬会葵橋洋画研究所に学び、その2年後に第4回文展に入選するなど早くから才能を開花させました。雑誌『白樺』と出会い、同人たちとの交流を通してポスト印象派やフォーヴィスムに触れ、作風においても大きな影響を受けました。1912(大正元)年にはヒュウザン会(のちにフュウザン会と改称)の結成に参加、翌年蓁と結婚し、代々木に移り住みます。同会解散後は、デューラーやルネサンス絵画に強い関心を持ち、独自の写実表現へ向かいました。
右下の署名と年記から、この作品は1914年7月6日に制作されたことがわかっています。長女麗子の出産後、およそ3カ月頃の妻をモデルにしたといわれています。しかし、描かれた妻の表情からはあえて個性が削ぎ落とされ、大地と収穫を象徴する女神像として描かれているようです。画面上部にアーチ状の縁取りを施し、ルネサンス期の宗教画を思わせるこの作品は、同年10月に田中屋での個展に出品された際には、石井柏亭から「全く同感できない」と酷評され、理解を得られませんでした。しかし、背景に描かれた赤土と草、青空へつづく道などには、翌15年に結成される草土社の語源となった作品《赤土と草(赤土と草の道)》(1915年、浜松市美術館)や、代表作《道路と土手と塀(切通之写生)》(1915年、東京国立近代美術館)と通ずるものがあり、さらなる展開の始まりを予感させます。

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