岡鹿之助は東京美術学校を卒業した後、1925(大正14)年、パリに向かいます。第二次大戦勃発を機に帰国するまで14年間を過ごしました。藤田嗣治と交流し、またアンリ・ルソーやジョルジュ・スーラなどから西洋の造形精神を学び取り、考え抜かれた構図の風景を、薄塗りの細かいタッチで少しずつ描き出す方法を確立させます。この風景画は、岡のスタイルができあがった頃のもので、舞台の書き割りのような奥行きのない建物や、飄々として河畔でくつろぐ人々などに、ルソーの影響を見て取ることができます。川と橋の組み合わせは、岡がこの後終生大切にする題材となりました。